この事件で本当にオリジナルなものがあるとしたら、それはたったひとつだけなのかもしれない。
             
「模倣犯」 宮部みゆき  小学館

 1996年9月12日。早朝の公園で、犬の散歩をさせていた少年と少女が、ゴミ箱の中に隠すように入れられていた右腕を発見した。同じゴミ箱から発見されたバッグの持ち主は古川鞠子。だが、待ちわびる母親と祖父の気持ちを嘲笑うかのように、犯人からテレビ局にかかってくる電話。右腕は別人だ、鞠子ではない――と。翻弄される警察、マスコミ、そして家族。犯人はまるでゲームを楽しむかのように電話で世間を操っていく。そして次々に失踪する若い女性。これは連続殺人なのか? 彼らはいったい何者なのか。なんのために、なぜ、このような残虐な事件を繰り返すのか。そんなある日、群馬県でトランクに死体を乗せた車が事故を起こし、しかも運転していた男の部屋からは連続殺人事件の証拠が大量に検出される。犯人は彼らだったのだ。これは天罰だ、神の鉄槌が振り下ろされたのだ――
 と、ここまでが第一部である。
 第二部は、犯人である栗橋浩美とピース、このふたりが犯罪を犯す様子が第一部とシンクロするように語られる。縦糸と横糸がきっちりと織り込まれていく、といっていいだろう。
 だが、この物語には第三部がある。犯人が明らかになった後で、「しかし、彼は無実だ」という叫びをあげる者たちの物語だ。
 宮部みゆきは人物をしっかり書きこむ作家である、と以前から思っていた。今回、ストーリーそのものはあらすじで書けばそう大した長さになりそうもないのに、二段組、上下の分厚い本になったのも、やはりこの「人物」のせいだと思う。
 右腕を発見した少年、塚田真一の過去など……いってみれば、ストーリーにどれだけ関係があるだろうか。ましてや、真一のガールフレンド、水野久美の家族構成や姉とのやりとりなど、どれほど? だが、細かいエピソードを積み重ねることで、そしてどんな脇役にも彼らなりの人生があることを描き出したことで、この物語がほんとうに伝えたいことが、ずっしりとした重みを持っているのではないかと思う。
 これは単なる犯人探しや、最近よく耳にするような犯罪者の心の闇、そんなものを描いたものではない。ひとりひとりの人間の生活の素晴らしさ、生きていることの重み。よろこびや、かなしみ。ふれあい。
 ミステリーとしてではなく、小説、として、楽しめる作品だと思う。
 



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