やっと思い出せた。自分は死んでいたのだ。
 自分は死んでいた。それは決して馬鹿げたことではない。愚かなのは、私が今日まで自分の死を忘れていた、そのことだけである。
      
   「暗色コメディ」 連城三紀彦  新潮文庫

 デパートの店内アナウンスで呼び出された場所に行った古谷羊子は、そこでもうひとりの自分が夫と逢引している現場を目撃する。ふるやようこ? あの女が古谷羊子なのだとしたら、自分はいったいだれなのか。
 交通事故を装った自殺を試みた画家の碧川の目の前で消失したトラック。後に彼は、自分の身体に異次元が存在すると信じるようになる。昨日まであったはずの火山が次の日に消滅する。ついさっきまで目の前にあったグライダーが消える。次々におとずれる空白。
 初七日の供養から帰ってきた妻に、死んだのはあんたじゃないか、といわれた惣吉。狂っているのは妻なのか、自分なのか。死んだことを忘れて生きている人みたいに喋ってるなんておかしいわ、と泣き笑いする妻の見せた新聞記事には、たしかに身元不明の交通事故死者のことが載っていた。自分は死者なのだろうか。
 ひさしぶりに遊びにきた姪によって、いつのまにか自分の妻が別人にすりかわっていたことに気づいてしまった外科医。知らない顔、知らない声の女性につのる不安感。
 別々の場所で別々の人間の身にふりかかった四つの事件。それらがある精神科の病院でひとつに結ばれ、過去の殺人事件を浮かび上がらせる。
 これは、SFではないし、単なる狂気でもない。二つに分かれてしまった分身も、火山の消滅も、すべてにミステリーとしてのトリックが隠されている。連城三紀彦らしいといえばこれほどらしいといえる話もないだろう。ぜひ一度、読んでもらいたい。




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