「神様が、そう言ってくれたら、どんなにいいだろう」
「え?」
「私が、悪かったねえって。おまえたちを、こんなふうに創ってしまってって」
             
 「エンジェル エンジェル エンジェル」 梨木香歩 新潮文庫

 私「コウコ」はインテリア雑誌で見た、壁に組み込まれた熱帯魚の水槽に釘付けになった。常日頃の情緒不安定が、熱帯魚を飼うことで癒されるのではないかと思ったからだ。しかし、物わかりのいい優等生を演じすぎてしまっていて、この不安定な精神状態を親に訴える術をコウコは知らない。だが、寝たきりに近いばあちゃんを深夜にトイレに連れてゆく――トイレ当番を引き受けることで、コウコは思いがけなく、熱帯魚を飼うことが許された。
 闇の中でキラキラと輝くエンジェルフィッシュとネオンテトラ。すっかりくつろいでいたコウコだったが、なんとそこで不思議な出来事と遭遇してしまう。深夜のばあちゃんが昼間のばあちゃんと違っていたのだ。はっきりとした口調でしゃべり、自分のことは「さわちゃん」と呼ばせ、目付きも言葉遣いも覚醒している。これはいったい……――?
 物語は深夜のコウコと、若き日のばあちゃん――さわちゃん――の語りが交互にあらわれることで構成されている。癒しを求めて飼っているはずの熱帯魚の、思いもかけない凶暴性。このことと、ばあちゃんの過去とがどうつながってくるのか? エンジェル、神、悪魔、といったキーワードが読み手をひきつけてやまない。
 ひとは誰でも悪魔の部分を持っているものだと思うけれど、とりわけ長い時を生きてきた人々には、いうにいわれぬものがあるのではないか、と思った。さわちゃんにはその上、戦争という時期も重なる。さわちゃんの記憶として語られなかった部分にも、彼女をいまなお傷つけるものがあるのだろう、と、そう思われてならない。それは、いちばん最初のほうで、お母さんがさりげなく語る
「おばあちゃんはね、戦後、本当に苦労されたのよ」という言葉に、
「でも、あの頃はみんなそうだったから」
と微笑むばあちゃんの姿にも見えるような気がする。
やわらかな言葉で書かれている。けれどだからこそ、たくさんのことを考えさせられる。そんな物語である。



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