どこか物悲しい調べの漂う歌を聴いていると、星の数ほどの昨日の昨日、この樹の下に女と犬が住んでいたのだ、としみじみ想う。
「天唄歌い」 坂東眞砂子 朝日新聞社
薩摩藩の通詞、是枝亥次郎は、薩摩藩士菱田杢右衛門の補佐役として、琉球行きの船、栄寿丸に乗り込んでいた。しかし、航海四日目、激しい雨風によって船は難破、嵐がすぎたあと、気づいた亥次郎たちを囲んでいたのは、倭人とは思えぬ格好をした人々だった。言葉さえ通じない相手に苦闘する生存者たち。しかし、次第にわかってきたのは、この人々が、彼らのことを「犬」だと思っているということだった――
物語は、天の声を聞く天唄歌いの候補となっているイオの視点で、流されてきた「犬」たちと自分たちの生活を描いた部分と、豊かな生活を送る人々を異質な目で眺める亥次郎たちの視点から描かれた部分とから構成されている。島の人々の暮らしは、亥次郎たちから見れば異様ともいえるものだ。女が権力をもち、しかも性的に奔放で、人肉を食べることへのタブーもない。
そして、上、中、下篇のそれぞれに、さらに平成になって、是枝亥次郎の書いた『霊島漂流記』と出会った亥次郎の子孫が、天唄歌いのいた島を探す旅に出る物語が挿入されている。果たして島は残っているのか?
ドリスに「朝の少女」という作品があるが、不思議とそれを思わせる作品である。島の人々は彼らなりに豊かで満ち足りた暮らしをしているのに、そこに土足で踏み込んでこようとする人々がいる。それが人間というものなのだとしても、物語のその部分はつらい。
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