「私を忘れないで」という言葉の本当の意味に、万智子は、たどり着いた。
「第4の神話」 篠田節子 角川文庫
フリーランスのライター、小山田万智子に依頼されたひとつの特集記事。それは五年前に亡くなった作家、夏木柚香について新たな神話を作ることだった。芸大声楽家卒業の、美貌の人妻。優しい微笑となめらかな身のこなし、それらを引き立てる化粧とファッション。しかも衝撃的なデビューののち、バブル作家として次々と書き続け、売れ続けたままに死んでいった。愛人である美貌の能楽師ひとりを病室に入れて。その輝きつづけた四十二歳の生の裏側に、母として、妻としての苦悩があったことは、少数の人間しか知らない。万智子に期待されたのは、そんな柚香の姿を書くことだった。だが、ほんとうに夏木柚香は母親として素晴らしい女性だったのだろうか? 彼女はなにを思い、小説を書き続けたのか。自分の作品は五年経てば忘れられる、と口にしていた彼女が、それでも書いていたのはどうしてか。彼女が本当に伝えたかったこととは何か。
当初、あまり気乗りしないままに美しい女性作家の生涯を調べはじめた万智子の前に現れる、仮面の下の素顔。いつしかのめりこみ、誠実に仕事をこなそうとするあまりに、編集部の意向とずれはじめてしまうもどかしさ。柚香とは対照的な万智子の生活、信条であるが、だからこそ柚香を理解しようとし、理解できる女性の本質がある。
それにしても……だ。五年経てば忘れられてしまうとわかっている作品を書き続けること。それを想像し、その恐ろしさに背筋を寒くしてしまうのは、わたしだけではないはずだ。「私を忘れないで」。耳をついて離れないことばである。
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