「あんた、幸福なの?」
「ぼくが――なんだって?」
「華氏451度」 レイ・ブラッドベリ(宇野利泰訳)ハヤカワ
禁じられた「書物」というものを焼くのが、焚書官であるモンターグの役目だった。祖父も父もこの職につき、彼自身、本を焼くことを愉しんでいた――はずだったのだ。しかし、彼はある晩、夜中に散歩をし、朝日がのぼることを楽しみ、ものをながめ、たくさんのことを考え、おしゃべりをし、沈黙をも愉しむ不思議な少女クラリスと出会う。そして、問われるのだ。幸福か、と。
幸福なはずだった。この世界は人々が幸福でいられるようにできているのだ。ものを考えると、憂鬱な気分になることもある。だから、考えなくてもすむように、人々は家の中にしつらえたテレビ室をこころの友とし、<海の貝>と名づけた超小型トランジスターラジオを耳の中にはめ込んでいる。車を走るときには考えなくてもいいように高速で走らせなければならず、「知性」というもので差が出て劣等感を抱くものがないように、ものを考える人物が出て来ないように、書物は焚書官が焼き尽くすのだ。どうして幸福でないはずがあるだろう?
けれど、彼は不幸だった。不幸であることに気づいたとき、彼は禁じられた書物を読み始める。
書かれた時代を考えれば、ブラッドベリが禁書、焚書というものに対しての抗議を行っていたとも考えられるが、これをいま読んで思うのは、あふれかえった情報というもののおそろしさでもある。書物でさえ、ダイジェスト版がもてはやされ、この中で語られる反知性化の道のりを辿っているといえるのではないだろうか。
のんびりと歩き、陽の光を楽しみ、お互いに喋らずとも沈黙の中に友情を感じるような、そんな時間がたまには必要なのかもしれない。
寂しさと希望とが混在するラストまで、ひと息に読めることだろう。
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