戯れに恩田陸について語ってみる


 ここのところ続く恩田陸。うーん。べつにとっても好きというわけではないのに(笑)。あ、いや、嫌いではないけど。
 恩田陸はジャンル分けのむずかしい作家だといわれているらしい。たしかに、どの作品を見ても、ミステリーなのかホラーなのかSFなのか、はたまたこれはジュブナイルなのか大人対象なのか……そんなことを問うほうが馬鹿らしくなるほどに「自分の世界」があって、その点はうらやましくなるほどだ。
 たとえば、「ネバーランド」にしても「球形の季節」にしても、「麦の海に沈む果実」にしても……恋愛のない学園ものだ。この点を、わたしはすごいと思う(あえていうなら六番目の小夜子もそうか)。
 だって、じっくり考えてもらいたい。
 恋愛のない学園もの。
 これって、けっこうなシバリがあるんじゃないかと内心思う。
 世の中に「恋愛もの」があふれていて、さらにはなんだかんだいって、人生そのものだって最終的には恋に落ちたり結婚したり、っていう流れになっていく……そういう中で、いままであったいわゆる「学園もの」って大抵は恋愛絡みだった。少女漫画なんてロコツにそうだし、いまじゃ「学園恋愛もの」は男女間だけじゃなくなってしまって、そういう意味では巷にあふれて大流行といってもいいかもしれない。そんな中で、恩田陸の作品には潔癖なほど「恋愛」の色が少ない。むしろ、ここらでぱあっと大恋愛小説でも書いてみせたら読者の度肝を抜くことになるんじゃないか、そんな風にさえ思えるほどだ。
 おそらく、わたしが恩田陸にひかれるのはこういうところなのだと思う。
 加納朋子のみせた、殺人事件のない、警察や刑事や探偵の出てこないミステリーと同じようなものを感じる。
 キャラクターだってそうだ。
 かっこいい人が出てきたらカメラマンか音楽関係、女の子はレースでひらひらした大人しい子か、日に焼けたスポーツ少女タイプ、男の子は眼鏡をかけた優等生か、ちょっと華奢めの美少年か……あえて考えるまでもなく、世の中にはいやになるくらいに「パターン」があふれている。で、そんな決まりきったお人形さん同士、事件がらみで親しくなった男女はあっというまに恋愛関係に陥るし、長い時間を過ごしている間柄が互いに相手を気にしない「学園もの」なんて、まずない。
 恩田陸が完全にそのパターンを逃れたとはいわないが、けれど、女装の校長、女ことばをしゃべる四十代の切れ者の男、あえて「パターン」を外したキャラクターを出そうとしている姿勢を、わたしは認めている。
 そして、「ハードボイルドのあらすじは二百字でまとめられる」「ホラー映画で主人公が殺されない法則」、そんなことを口にする恩田陸の登場人物を眺めるたびに、実は恩田陸も世の中に安易に書かれている恋愛ものを苦く思っているのかもしれないなあと、ふと思ったりもするのである。
 で……そういう意味では、わたしはすごく、恩田陸が好きだ。
 が、しかし。
 なんとかならないかなあ、この詰めの甘さ。いきなりのSF化、ずるいだろう、それは! 叫びたくなるアンフェアな結末。それって、現代モノ密室殺人だと思っていたら、「じゃ〜ん、実は物質転送機があったんで、それで犯人は出入りできたんです」って探偵が解決してしまうみたいなずるさじゃないだろうか、と思いたくなることさえある(「月の裏側」とかさ……)。そのアンフェアさがおもしろい(「不安な童話」)作品もあるけど、途中まで盛り上げておいてラストでこけさせるものも多く(「三月は深き紅の淵に」「上と外」)、ま……そういう意味で。恩田陸。実はけっこう、目が離せない(すなおに好きだっていえよってか……)。


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